
編集長のブログ180 東野圭吾氏の訃報と、編集者の役割
昨日、熊本で大きな地震がありました。熊本市内には、弊社出版物の著者としていつもお世話になっている舩津雅彦先生がいらっしゃいます。暑い季節での災害であり、現地は大変な状況であると思います。被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
また先日、当代一のベストセラー作家である東野圭吾先生が亡くなられたことが報道されました。日本国内での書籍の販売部数が1億部とのこと。私も出版業界の一員として、信じられないほど桁違いの部数です。まだ68歳、福山雅治さん主演のガリレオシリーズをはじめ映像化された作品も多数あり、国民的作家の惜しまれてならない死です。
私事ですが、1年ほど前に知人から数十冊の東野圭吾先生の著書を借り受けました。全作品の半分以上になる冊数でしょうか。直木賞受賞作の『容疑者Xの献身』を皮切りに、少しずつ読んでいました。知人の一番のお勧めは『むかし僕が死んだ家』とのことで、訃報を知ったときはたまたま同作品をほぼ読み終わった頃でした。
東野先生の訃報をきっかけに、読み終えた本作品について知人と語りました。
本作品の舞台となった長野県の松原湖は、知人の故郷と同地域です。そのため、初読のときは地域独自の謎解きのネタがあると察知し、ワクワクしながら読み進めていたそうです。しかし、最後の種明かしで、東野先生が地域ならではの特性を理解していなかったことがわかり、がっかりしたとのことでした。
本作品は、元恋人同士が松原湖に建つ無人の家を訪ね、しかしその家には電気も水道も通っておらずトイレもないという、家として機能しない奇妙な「家」でした。その家には小学生の男児の夏休みの日記帳が残されており、日記を読んで男児と家族に何があったのか、この家は一体何なのかを推理する元恋人同士。薄気味悪く重苦しい空気の果てに、ゾッとするような真実が判明し…、という展開です。
ネタバレですが、男児が日記帳に記した内容から、この家はもともと松原湖ではなく横浜に建っていた家だったことがわかります。男児と家族は松原湖ではなく横浜で、同じ間取りの同じ造りの家で暮らしていたのです。松原湖の家は、横浜の家が焼けて死んだ男児らの墓標であったというオチです。もはやホラーです。さすがだな、と私は感服しました。
しかし、知人は、主人公らが家の移築(再建)に気づく過程で、東野先生に大きな見落としがある、ミステリとして惜しい、というのです。
「私は最初から、日記を書いた男児が地元の子どもではなく、東京とか都会の子だと分かっていた。東野先生は、日記に記された海の記述から横浜の家だと気づいたような設定だが、そもそも夏休みの日記帳が7月下旬に入った途端に始まり、8月いっぱい夏休みが続いている時点で、松原湖の話ではないことに気づく。私の子どもの頃は、夏休みは7月28日頃から8月17日頃までで、お盆が明けたらすぐに学校が始まる」とのことです。
そして、8月下旬にランドセルを背負って歩いていると、観光客が「あれ、今はまだ夏休みだよね?」「登校日かな…」などと、ひそひそ話されたこともあったとか。長野県の夏休みは短く、昔の田植え休みと稲刈り休みの名残りで春(1学期)と秋(2学期)に「お手伝い休み」があり、厳寒期(3学期)に「寒中休み」が1週間ずつくらいあったそうです。だから東野先生には、この地域ならではの夏休み期間の著しい齟齬を謎解きの核に据えてほしかったと、地元出身のファンならではの自説を披歴されました。
確かに、知人の論理展開のほうが正鵠を射ており、「松原湖」という現実の地名を出した以上、そして夏休みの日記を本作の重要な小道具に据えたからには、夏休み期間の大きな矛盾は触れなければならないポイントです。念のために私も調べてみると、昔ほどではないですが今でも長野県の夏休みは他地域に比べて短く、本作品が発刊された1994年の松原湖地域の小学校の夏休みは7月27日~8月18日でした。
私は、厳しい言い方かもしれませんが、これは作家ではなく編集者の責任だと思いました。どうして現地で取材しなかったのか、ご多忙な先生に代わって取材してほしかったと残念です。その点を押さえれば、西村京太郎氏の鉄道ミステリの時刻表トリックに匹敵するような、緻密な本格派推理小説として更なる名作になったと思います。
報道によると、東野先生は柔軟性のある作家で、映像で役柄を演じた俳優に寄せて、逆にご自身の主人公像を合わせるような書き直しもされたそうです。作品を良くすることに貪欲で、かつ優しい先生なので、ファンレターなどで本作品の夏休み期間のトリックをお知らせしたら、改定版でリニューアルしてくれたかもしれません。亡くなられてしまった今は、適わぬことですが。
最高のエンターテイメント作家の死に際し、作品作りに関わる編集者としての在り方も考えさせられました。自戒を込めて。
